(聞き手:水源地環境センター 研究第3部 吉田)
(WEC)
「ダム所長に聞く」第2回は、関東地方整備局二瀬ダム管理所にお伺いしました。
伊藤所長、どうぞ宜しくお願いします。それでは初めに二瀬ダムの御紹介からお願いします。
(伊藤所長)
二瀬ダムは、荒川本川の最上流部(埼玉県秩父市大滝)に位置しており、「秩父多摩甲斐国立公園」の中にあります。1961年に建設されたダム高95m、総貯水容量2,690万m3の重力式アーチコンクリートダムで、洪水調節により下流域の被害軽減を図るほか、荒川中流部約8,600haの農地に対して安定的に農業用水を供給するとともに、ダム直下の二瀬発電所により水力発電を行っています。
(伊藤所長)
ダム建設の契機は、関東全域を襲った昭和22年9月のカスリーン台風でした。
戦後の荒廃した国土に追い打ちをかけるかのように、9月15日、カスリーン台風の来襲により、荒川では同日午後6時35分、田間宮村(現鴻巣市)地先の堤防が65mにわたって決壊、続いて午後7時30分、熊谷市久下地先で100mにわたり決壊しました。濁流は元荒川沿いを南下し、多くの生命や財産を飲み込み、翌16日午後7時頃に春日部町(現春日部市)に達しました。17日には
東村(元大利根町、現加須市)地先で決壊した利根川からの濁流も南下して荒川の洪水と合流し、20日午後2時頃には東京湾に達しました。
この大出水を受けて、荒川の治水計画は大幅に改定され、上流部に洪水調節施設が計画されました。この計画に基づき二瀬ダムは、かんがい用水不足に悩む地元の要望も受け、洪水調節・かんがい・発電という3つの目的を有する多目的ダムとして計画されました。埼玉県による調査の時代から国直轄での調査の時代を経て、昭和28年に、五十里・藤原ダムに次ぐ関東地方建設局(当時)3番目のダムとして着工しました。
昭和30年までに水没補償の大部分を解決し、昭和31年までに付替道路および工事用道路を完了させました。その間、ダムサイト地質調査等を行った結果、基盤の地質が想定よりも堅固だったことから、ダム形式を重力式ダムから重力式アーチダムに変更しています。重力式アーチダムとは、ダム自体の重みや貯水池からの水圧等をダムの基盤で受け止める重力式ダムと、加わる力の一部をダム側面の岩盤に受け持たせることによってダムのスリム化を図れるアーチ式ダムの中間的な性質を持った、とても珍しい形式のものです。
昭和32年10月から本体掘削、昭和33年12月からは本体コンクリート打設を開始し、昭和36年1月に打設が完了しました。
その後、ダム管理所等の付帯施設を整備して、同年12月に二瀬ダムが完成しました。翌昭和37年5月には、秩父宮妃によって貯水池を「秩父湖」と命名頂き、以来、約60年間、洪水調節・かんがい・発電を通じて、沿川地域の安全・安心、社会経済の発展に寄与しています。
(WEC)
重力式アーチダムは二瀬ダムを含めて全国で12基しかない珍しい形式ですよね。
他に二瀬ダムの特徴について教えてください。
(伊藤所長)
それでは二瀬ダムの特徴について、2つ述べたいと思います。
1つめは、他に例がない洪水期の制限水位方式です。洪水期に洪水調節を行う一般的なダムの制限水位(洪水を貯めるために、それ以上の高さには平常は水を貯めないこととする水位)は、洪水調節容量を確保するために一定の水位で運用しています(図-1 上段参照)。2段階の制限水位を設け、洪水が予測される際に予備放流により下段の水位まで落とす運用をするダムもいくつかありますが、二瀬ダムでは、図-1下段のとおり、7月1日から8月29日まで制限水位を少しずつ下げ、その後の8日間最低水位を維持した後に、再び9月30日まで制限水位を少しずつ上げていく計画となっています。
これは、地形的制限から二瀬ダムの貯水容量を現在より大きく計画することができなかったこと、かんがい用水不足にも対応する必要があり洪水調節容量とかんがい容量を可能な範囲で重ね合わせざるを得なかったことなどが理由です。
実際のダム管理では、洪水期には毎日制限水位が変わり、それを守りながらドローダウンしていく訳ですので、ドローダウン途中の洪水対応など、非常に管理が大変なダムと言えます。
2つめは、昭和37年に完成した二瀬ダムには、あの「戦艦大和」を建造した呉海軍工廠の流れを汲む(株)呉造船所の技術が今も活きています。巨大なコンジットゲート、船のハッチのような扉、機械式の計器類など、当時の製造品が持つ重厚なたたずまいに満ちています。また、ダム内の通路の壁や天井には、合板の型枠にはない木目や釘の跡がくっきりと残されています。
当時は、ダム堤体内の見学など考慮した設計ではありません。そのため現在は、年1回のイベント時に、少人数によるダム堤体内見学会しか実施できていません。ダム見学者の導線等も考慮して安全設備等の手当を行い、地域資源の1つとして更に貢献できるよう工夫していきたいと思います。
(WEC)
昨年(令和元年)10月の台風19号では関東地方でも各地で記録的な大出水となりました。二瀬ダムではどのような対応をされたのでしょうか?
(伊藤所長)
台風19号では、台風本体の発達した雨雲や台風周辺の湿った空気の影響で、静岡県や関東甲信地方、東北地方を中心に広い範囲で記録的な大雨となりました。
関東地方整備局管内では、多くの雨量観測地点で既往最高雨量が、多くの水位観測地点で既往最高水位を観測しました。また、国管理区間において、4河川9箇所で堤防決壊、8河川16箇所で越水・溢水が生じました。
荒川流域は、多くの雨量観測地点で既往最高に迫る雨量となり、横瀬地点(横瀬町)、三峯地点(秩父市)では既往最高雨量を観測しました。荒川の熊谷地点(熊谷市)の水位は氾濫危険水位を超え、既往最高水位を観測しました。
二瀬ダム上流域も、二瀬観測地点で513mm、最大日雨量478mmを観測、流域平均雨量も477.4mmに達しました。ダムへの流入量も1,032m3/sを記録し、二瀬ダム建設以来の既往最大の洪水となりました。
このような状況の中、ダム管理開始後初めて、異常洪水時防災操作の可能性が予想され、関係機関等への情報発信・共有をしっかり行いながら、降雨予測を踏まえて洪水調節操作を実施しました。10月12日16:00に異常洪水時防災操作の可能性について通知を行い、結果的には、7時間40分後の同日23:40に当該操作の回避をすることができました。
(伊藤所長)
事前に予備放流をかなり早い段階から行ったこと、貯水位計の不具合というハプニングにもひるまず、ゲート開度など手計算を行いながらダム操作を実施した職員の奮闘と、最後は降雨が止み流入量の増加が見込まれなくなり貯水容量が持ちこたえられたことは非常に幸運でした。気候変動の影響がダム管理の現場で強く感じられた経験でした。この「異常洪水時防災操作」については、報道等では、「緊急放流」という言葉が使われているようですが、久喜邦康秩父市長は、「自然放流」という表現で、ただし書き操作のことを発言していただいています。私は、非常に適確な言葉だと感じています。
(WEC)
「自然放流」ですか。誤解を招かないふさわしい言葉のように思えますね。
※本数値は、速報値であるため変更となる可能性があります
(WEC)
最後になりますが、今後の取り組みなどについてお話しいただけますか?
(伊藤所長)
二瀬ダム管理所では、流域の安全・安心を確保し、より的確で安全なダム管理を推進するため、異常豪雨の頻発化に備えた洪水調節機能と情報提供の充実に向けた対応を行うとともに、計画を上回る堆砂に対して貯水池内の掘削を継続することや、施設の効率的な維持管理と長寿命化の推進として予防保全対策等を実施しています。特に、昨年の台風19号対応を受け、洪水調節機能の強化と情報提供の充実について、重点的に取り組みたいと思います。
具体的には、将来の操作規則改定も含めた対応と必要に応じ放流設備改造等も視野に入れ、現在検討中です。当面利水者と調整の上、暫定的な貯水池運用、洪水期間の制限水位方式を例えば2段階程度の制限水位で試行するなど、実施に向けた調整を進めたいと思います。
また、台風19号により貯水池への流入土砂が非常に増加しました。現在堆砂量を精査していますが、排砂対策も喫緊の課題と考えています。全国には排砂対策を実施した、あるいは実施中のお手本ダムが多数あります。先輩ダムの事例を参考に二瀬ダムの排砂プロジェクトを計画していきたいと思います。
情報提供の充実という点では、昨年9月に二瀬ダムと浦山ダム・滝沢ダム(独立行政法人水資源機構(以下、水機構))と共同で、ダムからの災害情報の提供の更なる充実を図るため、ちちぶFM開局に合わせ同FM局との間で「災害情報の放送に関する協定」を締結しました。同FMからの「プッシュ型」による災害情報の提供により、台風19号の際にも地域の方々へ正確な情報を確実に届け、地域の防災力向上に繋ぐことができました。
最後は、地域振興等の取組についてです。荒川上流域の二瀬ダム(国管理)、浦山・滝沢ダム(水機構管理)・合角ダム(埼玉県管理)の4つのダムが連携・協働し、関係地域と一体となった水源地域の活性化を支援する取組を実施しています。
今後は、流域試行の視点や地域循環共生圏・SDGsの考え方などを取り入れた水源地域の自立的で持続可能な新たな活性化の方策検討やその実現に向けて、地域の関係者と勉強しながら更に貢献していきたいと思います。
(WEC)
本日はお忙しい中ほんとうにありがとうございました。