「ダム管理所長に聞く」第34回《大井ダム》

(聞き手:水源地環境センター 名古屋事務所 可児)

(WEC)
「ダム管理所長に聞く」第34回は、日本初の水力発電用高築堤ダムともいわれる大井ダムを管理する関西電力株式会社 再生可能エネルギー事業本部 今渡水力センターの田中所長代理にお伺いしました。

田中さん、どうぞよろしくお願いします。では、はじめに木曽川水系における電力開発の歴史についてご紹介をお願いします。

■日本一の包蔵水力を誇る木曽川水系における電力開発

(田中所長代理)
木曽川は、太平洋側と日本海側を分ける中央分水嶺の中の主峰、鉢盛山はちもりやま(標高2,446m) に端を発し、日本北アルプスと呼ばれる飛騨山脈と日本中央アルプスと呼ばれる木曽山脈との間の山岳地帯に急峻な渓谷を形成して南下し、途中霊峰御嶽山おんたけさんに源を発する王滝川を始め大小の支流を合わせ岐阜県東濃地方の高原地帯に入り、そこから約50kmに亘る一大先行性峡谷の恵那峡えなきょう蘇水峡そすいきょうを作っています。しかし、この木曽川の奔流も蘇水峡下端で濃尾平野北部の岐阜県八百津町付近に至ると、ようやく中流の様相となり、続く美濃加茂市付近で、飛騨山脈中の乗鞍岳のりくらだけ(標高3,026m) と、その南方、野麦峠のむぎとうげ(標高1,672m) の西方に源を持つ飛騨川と合流して水量を倍加し、更に下って岐阜県笠松町付近で川幅も広くなり下流性となって洋々とし伊勢湾の奥に流れ込んでおり、この本流の全流程は、およそ229km(全国第7位)で日本の一級河川としては屈指の大河川です。

木曽川最初の発電所は、1911(明治44)年に完成した八百津やおつ発電所(岐阜県八百津町) であり、福沢桃介ふくざわももすけが陣頭指揮をとる「名古屋電灯株式会社」は、この発電所を建設中に引き継ぐとともに、上流部の水利権をまとめて掌握。1919(大正8)年の賤母しずも発電所(岐阜県中津川市) を皮切りに大桑おおくわ須原すはら(いずれも長野県大桑村) と次々と発電所が建設され、その中で1924(大正13)年に最初の発電所用ダムとして大井おおいダムが完成し、それ以降、現在に至るまでに落合おちあい笠置かさぎ今渡いまわたり常盤ときわ兼山かねやま三浦みうら王滝川おうたきがわ丸山まるやま山口やまぐち読書よみかき牧尾まきお木曽きそ伊奈川いながわの順に14のダムが築造され、木曽川は日本屈指の発電地帯となりました。日本の主な水系の中で、木曽川水系の水量を包蔵水力で表すと1位となり、木曽川水系は日本で一番豊かな水量を持つ水系であるといえます。(※木曽川水系の包蔵水力量:111.3億kWh/年)

このように木曽川水系が水力発電に適している理由として以下の3項目が挙げられます。

①木曽谷は、木曽御料林きそごりょうりんという自然の水源地に囲まれ、河床が硬い花崗岩で覆われており、発電所建設には最適の条件を備えていたことが挙げられます。また、木曽川の14ダムのうち13ダムがコンクリート重力式ダムであり、この理由としても先述のとおり、木曽川沿いの岩質が硬質の安定した岩であることに加えてコンクリート用骨材がダムの近くで容易に得られたことが挙げられます。

②水量が豊富で、河川の距離も長く、一年を通して渇水が少ないことが挙げられます。日本の平均降水量は約1,600mm~1,700mmであるのに対して御岳山のふもとにある三浦ダム流域ではその約2倍以上である約3,000mm~3,500mmもの降水量があり、豊富な水量が木曽川に流れ込むため、四季を通じて渇水しにくいことが挙げられます。

③河川が急勾配で、落差が大きいことが挙げられます。木曽川中流域は1/100、上流域は1/50~80と急勾配で、発電に適した落差が得られたことが挙げられます。

木曽川水系の発送電設備は、第二次世界大戦中の電力国家管理時代(日本発送電株式会社)を経て、1951(昭和26)年、電力会社再編の際、①各地域の電力需給のバランスと②発電された電気が主に関西方面に送電されていたことから関西電力に編入されました。

木曽川流域のダムと発電所

今渡水力センターでは、木曽川水系の34ヵ所の水力発電所のうち、落合、新落合、大井、新大井、笠置、丸山、新丸山、兼山、今渡、美濃川合みのかわいの10発電所と、落合ダム、大井ダム、笠置ダム、兼山ダム、今渡ダムの5ダムを保全しております。今回、このうち一番歴史のある大井ダムを中心に木曽川開発の歴史も含めて、ご紹介します。

■建設後100年を迎える重力式コンクリートダム

(WEC)
次に大井ダムの概要についてお聞かせください。

(田中所長代理)
大井ダムは1924(大正13)年に大同電力社長福沢桃介によって建設が手掛けられ、2024年に建設後100年を迎えます。大井ダムで取水した流水は大井発電所(最大使用水量139.13m3/s:最大出力52,000kW)および新大井発電所(最大使用水量85.00m3/s:最大出力32,000kW)へ送られ、最大84,000kWの電気を関西地方へ送っています。なお、大井ダムでは大井ダム直下に流下している支川の和田川から最大1.2m3/sを引水しており、今渡水力センター管内で唯一の渓流取水設備である和田川えん堤を有しております。

大井ダムの概要

和田川えん堤の概要

大井発電所、新大井発電所の概要

大井ダム

和田川えん堤

■電力王福沢桃介による木曽川水系の水力開発

(WEC)
大正時代にどうやって木曽川の本流にダム建設に着手したのでしょうか?

(田中所長代理)
日清・日露戦争を経て、工業生産の急速発展に伴って電力需要が拡大し、1911(明治44)年には旧電気事業法が制定され、全国各地に電力会社が誕生しました。その中で木曽電気興業、日本水力、大阪送電が合併し関西電力の前身である大同電力が発足し、大同電力の社長を務めたのが後に「電力王」と言われる福沢桃介でした。福沢桃介によって木曽川水系の水力が開発され、関西、中京等に電力供給(卸売)することで発展しました。

大同電力によって開発された電源の主流は水力発電で、その大半が木曽川水系で占められております。大同電力社長である福沢桃介は、木曽川の電源開発に情熱を燃やし「一河川一会社主義」のもと、河水を余すことなく、それぞれ適地に発電所を建設し、河水の有効利用をはかりました。そのために、福沢桃介は木曽川で多くの水利権を獲得しました。

木曽川水系で福沢桃介によって建設された発電所は、賤母、大桑、須原、桃山、読書、大井、落合の7発電所あります。このうち、大井発電所は、わが国初の本格的な高堰堤をもつ発電所で、後の木曽川水系のダム建設技術はもとより、わが国におけるダム建設技術の先駆的役割を果たすこととなりました。

大正10年に着工しながらも大正13年12月の完成までの間、幾度か洪水に見舞われ仮設橋が倒壊したり、また、関東大震災(大正12年9月)に伴う金融情勢の悪化により建設資金の調達が困難となったため、福沢桃介は民間企業としてはじめて米国(ジロン・リード社)で外債を発行し資金不足を切り抜けることで、木曽川開発のみならず民間企業の外資導入の道も開拓しました。

福沢桃介がかかわった木曽川の発電所

現地視察時の工事関係者(前列左から3人目が福沢桃介)

■木曽川流域の安全・安心に向けた取組み

(WEC)
今渡水力センターでは大変多くのダムや発電所を管理しておられますが、どのような点に注意して管理されていますか?

(田中所長代理)
昭和26年、関西電力に大井発電所(大井ダム)を含め編入されて以降、現在の今渡水力センターが設備の保全を行っています。発電所の運転は、時代の移り変わりで、現地での有人運転から、兼山制御所からの遠隔運転、その後、制御所は名古屋に移り、令和4年から大阪へと移っていますが、ダムについては、有人で毎日24時間、ダム勤務員が常駐してダムの管理運転を行っています。

ダムでは、毎日の日常巡視、月1回の定期巡視などにより設備の保守を行っており、今渡水力センターでは、定期点検や洪水吐ゲートやダム堤体など重要構造物の詳細調査により設備の状態を的確に把握し、これを基に修繕計画を立て、改修工事等を実施し設備を安全に運用できるように保守しています。また、最近では、水中ドローンやマルチコプターなどのDX機材を活用した設備の点検を行うなど効率化にも取り組んでいます。

これまでに、木曽川では幾多の大出水を経験していますが、河川の従前の機能を維持し、ダム下流および上流の流域の生命財産を守るという使命のもとダム操作規程を遵守して、安全にダム操作を行ってきました。近年の出水は、局地化・集中化・激甚化していますが、ダム勤務員は、ダム操作シミュレーターによる操作訓練などを通じて、これらの出水に対応できるように鍛錬をしています。

また、令和3年からは、微力ではありますが、利水ダムでの治水協力として事前放流態勢を執るなど、時代とともにダムの運用も変化しています。

今後も、木曽川流域に多くのダムを所有する事業者として、地域のみなさまに安心していただけるようダムの安全な操作に努めて行きたいと存じます。

■恵那渓から恵那峡へ姿を変えた日本を代表する景勝地

(WEC)
次に、大井ダムの魅力についてお聞かせください。

(田中所長代理)
今では観光地として親しまれている恵那峡ですが、恵那峡は大井ダム建設によって木曽川がせき止められて作られた人工湖です。ダムが建設される前は急峻で流れの早い暴れ川で、「男伊達ならあの木曽川の流れ来る水とめてみよ」と木曽節にも歌われており、いかに大井ダム建設の際に木曽川の水をせき止めることが難しかったか察することができます。そんな木曽川の渓流をせき止めたことによってそれまでの「恵那渓」から「恵那峡」へと姿を変え、ダム湖百選に選ばれる日本を代表する景勝地となっています。

恵那峡と大井ダム

大井ダムを見守る福沢桃介像

■奇岩・怪石が連なる恵那峡

(田中所長代理)
恵那峡で有名なものとして「奇岩・怪石」が挙げられます。恵那峡の一帯は花崗岩が分布しており、木曽川の流れによる浸食作用や長期間による風化作用により造形された「奇岩・怪石」を数多く確認することができ、恵那峡遊覧船で数多くの「奇岩・怪石」を眺めることができます。これらの「奇岩・怪石」はそれぞれの見た目から名前が付けられており、恵那峡の名付け親である地理学者の「志賀重昴しがしげたか」が木曽川の川下りをした際に名前が付けられたと言われています。

獅子岩

品の字岩

傘岩かさいし

桜の名所「さざなみ公園」

さざなみ公園から眺める大井ダム

■大正ロマンを感じる装飾デザイン

(田中所長代理)
その他にも、大井ダムの周辺には、遊園地である「恵那峡ワンダーランド」、ストーンミュージアム「博石館」、恵那峡内を遊覧できる「恵那峡遊覧船」などの観光スポットもあります。そして何より大井ダムはダム天端が一般開放されており、国内最大級の21門の洪水吐ゲート巻上機が並ぶ堤体上を歩くことができます。ダム天端の通路脇には大正ロマンを感じるアールデコ様式の台座や水銀灯、アールヌーヴォーの影響を感じる手すりなど当時の最先端芸術を取り入れた装飾デザインを楽しむことができます。また、大井ダム建設時の起功碑や大井ダム・発電所建設のあらましのパネルなどの掲示などもご覧いただけます。地域の観光含めて歴史ある大井ダムを横断されるのもいかがでしょうか。

ダム手すり・水銀灯 他

大井ダム起功碑

福沢桃介(帽子を片手に持つ人物)一行

■豊富なグルメ、特産品

(田中所長代理)
大井ダムは、ダム右岸が中津川市、ダム左岸は恵那市に含まれています。ご当地グルメ、特産品も数多くあります。中でも、国民的連続ドラマで有名になった「ごへい餅」や銘菓「くりきんとん」を始め、中津川市では「とりトマ丼」「しょうゆかつ丼」、恵那市では「恵那ハヤシ」「寒天製品」などありますので、ご興味ある方は、ぜひ一度ご賞味ください。

ごへい餅

くりきんとん

[写真は岐阜県観光公式サイト(https://www.kankou-gifu.jp)から引用]

大井ダムから眺める恵那峡花火大会

■社会生活に必要な「あたりまえを守る」ために

(WEC)
大井ダムの魅力はつきませんね。では最後に一言お願いします。

(田中所長代理)
これまでご紹介してきた様に、大井発電所は、大正13(1924)年に発電を開始以来、来年2024年で100年を迎えます。また、木曽川水系で発電事業を継続してまいりました。これも発電所運営について地域の皆様、地元行政、関係各機関のご理解、ご協力、ご指導があったからこそだと思います。

先人が苦難を越えて建設し、それを引継ぎ、運転・保全してきた大井発電所・大井ダムが社会に必要な電力の一端を支えてきたように、これからも次の世代に伝えていけるように設備や運転に取り組んで、社会生活に必要な「あたりまえを守る」ことが我々の使命と考えております。

今渡水力センター所員一同が一体となって発電所・ダムの維持管理および運用に取組み、流域の安全・安心の確保に努めていきたいと思います。

大井ダムを背景にした田中所長代理


(WEC)
本日はどうもありがとうございました。


■関西電力■

・東海支社 HP: https://www.kepco.co.jp/corporate/profile/community/tokai/jigyou/toukaij.html

・水力発電 HP: https://www.kepco.co.jp/energy_supply/energy/newenergy/water/index.html