「ダム管理所長に聞く」第4回《七ヶ宿ダム》

(聞き手:水源地環境センター 仙台事務所 瀧澤)

「ダム管理所長に聞く」第4回は、来年竣工30周年を迎える七ヶ宿ダム管理所の髙橋所長にお話しをお聞きしました。 

■七ヶ宿ダムの概要

七ヶ宿ダムのある白石川は、蔵王山系金山峠を源とし、七ヶ宿町・白石市を通り大河原町に至り、阿武隈川本川に合流する流路延長60.2km、流域面積約813km2の河川です。

阿武隈川沿いのまちでは、昭和16年7月、22年9月、23年9月洪水等で繰り返し甚大な被害が発生し、一方で戦後の流域内の人口・資産の増大、開発・発展等を踏まえ、利水の重要性も高まりました。

これらの情勢から、建設省では昭和49年4月に七ヶ宿ダムが盛り込まれた治水計画を策定して、昭和51年12月に特定多目的ダム法第4条の規定による七ヶ宿ダムの建設に関する基本計画が建設大臣より告示されました。

その後、昭和56年8月に本体工事着手、平成3年10月に竣工し、宮城県内8市9町193万人の水がめとして、現在に至ります。

ダム諸元は、中央コア型ロックフィルダム、FNAW、総貯水量1億9百万m3です。

ダムの総貯水量の約2/3(6,450万m3)が、水道用水です。右図に水道用水として利用している8市9町を示しております。

仙台市のしずくのマークに43%とありますが、これは七ヶ宿ダムの水の43%が仙台市で使われていることを示しています。

遠くは約90km離れた日本三景の松島町まで、県営の送水管を通して運ばれています。

■”七ヶ宿”の由来について

1636年(寛永12年)、江戸幕府の参勤交代制が確立され、現在のダム貯水池中央を通過した七ヶ宿街道が出羽13大名の江戸への往復に用いられました。

旧羽州街道の仙台領分の①上戸沢、②下戸沢、③渡瀬、④関、⑤滑津、⑥峠田、⑦湯原の7つの宿場を通ることから、七ヶ宿街道と呼ばれていました。

各宿場には、大名の宿泊場所である本陣、庶民用の旅籠や木賃宿、茶屋、煮売屋等が軒を連ねて繁盛したそうです。

明治時代の東北本線、奥羽本線の開通とともに宿場町としての役割が終了しました。


■“湖畔のまち”七ヶ宿町の概況

平成30年6月時点の七ヶ宿町の人口は約1424人で、ピーク時(昭和25年)の5536人の約26%。65歳以上の高齢者率も46.1%で、宮城県内でトップの状況です。

ダム完成により水源の町となった七ヶ宿町では、少子高齢化の大きな課題に対し、山あいの素朴で美しい自然と調和し、ゆっくりと時を刻みながら、若者の定住を誘導する施策へ力を注いでいます。

具体的には、道の駅七ヶ宿での地場産品の販売促進、町中心部への生協とコンビニの合体店舗の誘致・なないろひろば【こらっしぇ】の建設、地域担い手支援住宅【20年住めばマイホーム】制度、空き家バンク制度、高校生までの子育て応援支援金、18歳まで医療費・保育料の無料化、ICT機器での少人数教育、町営バスでの隣接市主要地点までのアクセス支援等、水守の郷のまちとして魅力を高めています。


■七ヶ宿ダムが果たしてきた効果―平成6年・30年渇水で、安定的に水を供給

現在、大倉ダム(S36完)、釜房ダム(S45完)、七北田ダム(S59完)、七ヶ宿ダム(H3完)の4ダムで、仙台市と宮城県南部の仙塩、仙南地方の都市に上水道の供給を実施しています。

S48年渇水時は、2ダム(大倉・釜房)のみで上水道へ供給していましたが、少雨による給水制限で、断水8千戸、プール給水停止32校等の被害が発生しています。

七ヶ宿ダム完成後のH6年に夏の利水に影響が大きい6~7月の累計雨量(釜房雨量観測所)が176mmで、S48年の181mmよりも少なくなり、渇水被害が懸念されましたが、4ダムで供給を計画的に実施しすることで、上水道の断水を免れて市民生活への影響を最低限に抑えました。

またH30年は、6~7月間の七ヶ宿ダムへの流入量は、H6年とほぼ同量の少なさでしたが、4ダム群が効果を発揮し、仙台市等の上水道供給先において、生活用水への影響は報告されませんでした。

令和元年10月台風19号での治水効果

平成3年にダムが竣工した以降、ダム下流の白石川では、堤防決壊等の重大な災害は発生していません。

令和元年10月12日の台風10号では、七ヶ宿ダム上流域の流域平均累計雨量(11日19時~)は180mmとなり、最大流入量は1秒間に約518立方メートル(七ヶ宿ダム管理開始以降第3位)に達しました。

この出水で、ダムへの最大流入量時、約500m3/sの貯留調節を実施し、下流の白石市内(白石水位観測所)で水位をピークで1.3m低減しました。七ヶ宿ダムが、白石市付近の白石川水位が計画高水位を超えることを防ぎ、堤防決壊のリスクを大幅に下げたと考えています。

■竣工30周年に向けて

令和3年10月で、竣工年より30年目を迎えます。関係地権者の皆さんをはじめ、建設当時の関係者の皆さんにも30年という節目に集まって頂く式典を現在企画中です。

また一日限りのイベントではなく、年間を通して、ダムの役割や治水の大切さを一般の方に知って頂くため、水に関係する色々な団体の皆さんと一緒に様々な企画を取り組む予定です。

白石川沿川自治体も少子高齢化が進んでいて、地域経済が大きく影響を受けています。そのため、少しでもこのイベントがお役に立てればと、令和2年度からダム竣工30周年を冠したプレイベントを開催して、式典の前年度からダム湖周辺への来客者増を狙っていきます。

以下に竣工30周年イベントを執り行う実行委員会の概要をご紹介します。

①実行委員会設立趣旨
ダム移転協力者と建設関係者の皆様への感謝を念頭にして、伝承・命の水・未来へ の3テーマを設立趣旨としました

◇伝 承
戦国時代の軍事連絡路、江戸時代の参勤交代で賑わった七ヶ宿街道の歴史と水源地の底になった3つの集落の生業や山間で培われた産業の伝承。

◇命の水
七ヶ宿ダムが存在することで、快適な市民生活や農業・商工業の発展に寄与し、洪水から住民の命・資産を守っていることの広報。

◇未来へ
ダム湖周辺地域で行われている活性化を目指した各種取り組みと白石川流域の魅力の発信。

②実行委員会のメンバー
行政機関や利水関係機関だけでは、ダムの役割や治水意識の向上とイベントでの賑わい創出のための新しいアイディアが生まれにくいため、白石川の水に接する民間企業や地元で活躍している民間団体、PRに協力して頂けるFM局からなる実行委員会が令和2年3月に結成される予定です。

※インフラツーリズムと併せ、工場見学ツアーなども企画していく予定です!

③令和2年度からのプレイベントを開催!
30周年を広く認知して頂くために前年の令和2年度より、既存イベントに30周年を冠して、広報、集客活動を実施予定です。下記は、毎年実施されていますダム湖周辺のイベントで、これらを基本にして、ダム竣工30周年をPRしていきます。

④30周年式典について(フォーラム形式で検討中)
式典の名前は、『七ヶ宿ダム竣工30周年事業 ~街道の歴史と七ヶ宿湖を語る集い~』の予定です。戦国、江戸時代の街道の歴史を振り返りながら、七ヶ宿湖周辺の魅力の発信、30年間果たしてきたダムの役割を知って頂く式典とします。

開催日 令和3年10月20日(木) PM

開催場所 七ヶ宿町活性化センター

式典プログラム  今後調整

■最後に

30周年式典が、建設時の関係者が一堂に会す最後の機会と考えています。これからも地域活性化を念頭にダム湖の更なる活用案を近隣地域と一緒に考えながら、実り多き30周年を迎えるよう取り組んでいきたいです。 是非、宮城県七ヶ宿町の七ヶ宿湖においで下さい。光のトンネルでお待ちしております。

髙橋所長