カナダと米国の国境に位置するナイアガラの滝は、人々を圧倒する存在感を持った美しい滝です。しかし、この世界一有名な滝の景観が、堰やダムによる人工的な操作の結果維持されていることは意外と知られていません。今回は、その辺の事情も紹介しながら、お勧めコースを巡ってみます。現在、新型コロナウィルスのため海外旅行も当分お預けの状態ですが、紙上だけでも現地に行った気分になってお読みいただければと思います。
アメリカ滝(左)とカナダ滝(右)
2019年6月にナイアガラの滝を訪問。岩の間を流れ落ちるアメリカ滝と馬蹄形をしたカナダ滝で構成されています。これらの滝に流れ落ちる水の量をネットで確認するとおよそ毎秒4,000m3。約9割がカナダ滝、残り1割がアメリカ滝を流れ下ります。川を見るとすぐに流量がいくらか気になってしまうのは「河川屋」の悪い癖です。
驚いたのは、これでも本来の自然の流量の半分に過ぎないこと。毎秒約8,000m3の流量のうち、半分が発電用の水路でバイパスされていたのです。毎秒8,000m3とは、1秒間に25mプール17個が満杯になる流量。東京・荒川の下流部での長期的な洪水対策の目標が毎秒7,700m3の洪水を安全に流せるようにすることですので、それと同じぐらいの流量がこの断面を流れていることになります。なお、平年ならこの流量は毎秒5,500~6,000m3程度。ここ数年は上流での雨量が多かったために毎秒8,000m3に増えていたのでした。
いくら水量が豊富だといっても、滝の水量を半分も削ってしまうことについてどういう合意形成がされたのかなぁという疑問が湧いてきます。調べてみると、1909年にはカナダと米国の間で「国境水条約」が結ばれ、「(上流側にある)エリー湖の水位とナイアガラ川の保全」のために、ナイアガラの滝の上流での取水量はカナダ側と米国側を合わせて毎秒1,586m3(56,000ft3)までに制限されていました。発電等での過剰な取水は滝にとって良くないという認識もやはりあったようです。
カナダ滝の全景
しかし、ナイアガラの滝には、水量が多いゆえの悩みがありました。それは浸食問題です。滝は水の力によって侵食され、年間約1メートルの速度で歴史的に後退(上流側へ移動)してきたのです。現在は美しい馬蹄形のカナダ滝(上の写真)ですが、徳川綱吉が将軍になる直前の1678年には滝の位置は今よりも300m以上下流にあり、滝の形もほぼ真っすぐでした。
この悩みの解消と発電の増強の両方を目的として、1950年ナイアガラ条約が結ばれました。ナイアガラの滝には、通常は毎秒1,416m3(5万ft3)、観光シーズン(4~9月)は朝8時から夜10時まで(9月後半は夜8時まで)はその倍の毎秒2,832m3(10万ft3)の水を流せば良いものとし、それ以上の水は発電等のために迂回させても良いというルールにしたのです。私が見たときのナイアガラの滝の流量は毎秒4,000m3でしたが、1909年の国境水条約だけしかない状況であれば毎秒6,400 m3ぐらいと、6割多く流れていたことになります。
このナイアガラ条約の締結と、その後に続いた発電所の建設のお陰で、滝の位置の後退速度は年間約10cm程度に現在は減っています。従来の約10分の1の速度です。観光客、電力事業者、滝周辺の経済主体の三者いずれにとっても望ましい状態が、発電取水による水の迂回によって生まれたわけです。
今回訪れたのはカナダ側を巡るルートです。滝周辺を上流から下流へ向かう経路を選びました。最初の訪問箇所は国際調節ダム(International Control Dam)と呼ばれる堰。カナダ側のオンタリオ発電会社が管理していますが、その運用については1919年国境水条約に基づきカナダ・米国が設立した国際合同委員会(International Joint Commission)の承認を得たルールで行われています。この堰には、発電用の取水量を調整する目的と、アメリカ滝側の流量を維持する目的があります。アメリカ滝はカナダ滝に比べて約3m高い位置にあるので、流況によっては水量が極端に減ってしまうのです。実際、この堰ができる前の時点ではアメリカ滝側にはほとんど水が回らない状況になっていたそうです。
国際調節ダム
国際調節ダムのカナダ側の端近くには発電用の取水口があり、そこから長さ10.2km、口径12.7mの水路トンネルを通って下流のSir Adam Beck発電所へ水が送られます。なお、このトンネルが完成したのは割と最近の2013年。それまではカナダ側で毎秒1,825m3、米国側と合わせて毎秒5,137m3が最大の取水能力でしたが、この水路トンネルの完成によってさらに毎秒500m3、カナダ側で約27%、全体で見て約10%送水能力が向上したのです。継続的にインフラの能力を増強し、あわせてナイアガラの滝の後退のさらなる抑制に取り組んでいるのが素晴らしいところです。送水経路の1つに支障や補修の必要が生じたりしてもリダンダンシーが確保されることで、ダメージを少なくする効果もあります。
旧トロント発電所(出典:ウィキメディア)
国際調節ダムから上流側に1.3kmの場所に旧トロント発電所があります。1906年に完成したボザール様式の美しい建物です。1974年に下流のSir Adam Beck水力発電所に機能をバトンタッチするまで使われていました。20世紀初頭期に建設されたカナダの水力発電所には美しいものが多いですが、ここもその一つです。
さらに700m進むといよいよカナダ滝に着きます。
近くで体感するカナダ滝
アメリカ滝とカナダ滝の流量の割合はおよそ1対9の割合になるように国際調節ダムで調整されています。従って、私の訪問時にカナダ滝から流れ落ちていた水量は毎秒3,600m3だったことになります。それだけの水量が馬蹄形をした縁の部分から滝壺に落ちる姿は圧巻です。眺めていると吸い込まれるような気分。さらに川辺を歩くとジャーニー・ビハインド・ザ・フォールズという施設に着きます。ここは、滝の裏側に回り込んで見学できるコースの入り口になっています。建物には土産物屋なども入っていて、カナダ側のナイアガラの滝観光のヘソとも言える場所です。
ナイアガラ観光のヘソ~ジャーニー・ビハインド・ザ・フォールズ
滝を眺めながら、しばし川岸を下流に歩いた後、ナイアガラの滝周辺のランドマークの1つになっているスカイロンタワーに向かいます。
スカイロンタワーへ
スカイロンタワーは高さが236m。その上から眺めるとナイアガラの滝の一角を除いては緑に覆われたカナダの台地を眺めることができます。
高層からの眺めで緑の大地に覆われたカナダを実感
タワーの最上階の回転式ダイニングルーム(Revolving Dining Room)で昼食。回転式と言っても回転寿司スタイルではなく、座席全体がゆっくりと回転することにより、どこの席に座っても長くいれば滝の方向を眺められるようになっているものです。日本でも昔は東京のホテルニューオータニが同様の構造でした。ここでは、窓側の席をできれば予約しておきたいところです。この稿の最初の2枚の写真は、そうして撮ったもの。下のアメリカ滝の写真も同様です。
スカイロンタワーから眺めたアメリカ滝
昼飯を食べたら、いよいよナイアガラ観光のハイライト、ボートによる滝壺接近に臨みます。料金30.5カナダドル(約2,300円)を支払い、まずはケーブルカーに乗って河岸に移動します。
ケーブルカーに乗りいざ船へ
乗船者はビニールのカッパを渡されます。カナダ側からの出発者は国旗の色にちなんで赤色です。
カナダ側から乗船した人たち
米国側の岸には青色のカッパをまとった人たちがいます。きれいに色分けされたカッパをまとっていると、映画ハリーポッターの寮対抗戦のように感じます。なんとなく対抗意識が湧いてきます。
米国側(右岸)の青色軍団
出港した後、船はまずアメリカ滝に向かって進みます。巨岩の間を通り抜けて滝が流れる様は壮観です。
アメリカ滝
アメリカ滝を過ぎると船はいよいよカナダ滝に向かって進みます。その途中では鳥・鳥・鳥。米国側の河岸は、日本では珍しいクロワカモメという鳥の群れでゴマ状になっています。その上の河岸に「黄色組」を発見。陸上から地下に降りて滝の裏側を見る人が黄色組だそうです。
黄色組とクロワカモメの集団
カナダ滝に接近するにつれて船上もスコール状態。カッパを着ていても靴の中までぐじょぐじょ。映像もまともなものは撮れず。船上ツアーは見るものではなく体感するもののようです。
カナダ滝近くの船上
カナダ滝の前で船は旋回し、ずぶ濡れの体をもて余しながら帰還の途につきます。下流に戻る途中で米国側の遠くの方に、1956年の崩壊事故により機能が停止したSchoellkopf 発電所の跡が見えます。
Schoellkopf発電所跡(現在は米国側遊覧船の作業ヤードとして利用)
Schoellkopf 発電所跡は、最初は1853年に滝の上流から分水した水を利用した製粉工場から始まり、その後、3基の発電設備が順次稼働しました。下の写真は2基の発電所(写真右寄りの2つの小屋の部分)が稼働している1900年時点のものです。主力の発電所となった3基が、この写真の左側の残りの部分を潰して1914年にさらにつくられました。そして、ナイアガラの滝を迂回する水路の落差を利用した発電が行われ、ナイアガラの滝の上流部の米国側の土地に電気化学工業で栄える工場街が形成される原動力となったのです。
1900年当時のSchoellkopf 発電所(出典:ウィキメディア)
1956年のSchoellkopf 発電所の崩壊は、崖の際に建てられた発電設備の壁面の裏に水が回り込み、水の圧力で壁面が崩壊したことにより起きました。このため、隆盛を誇った工業を支えた電源が使えなくなりました。この事故を受けて、後に紹介する巨大なRobert Moses発電所が1961年に完成したりはするのですが、それまでの間は遠隔地に電源を求める必要が生じて安価な料金では電力が使えなくなり、工場エリアは衰退しゴーストタウン化したのです。
しかし、現在この寂れた工業エリアを再生する事業の準備が進んでいます。事業が完成すれば、美しいウォーターフロントを有する住宅・商業・オフィス系を中心とした地区に生まれ変わる予定です。インフラ整備を通じた国土への働きかけを続けながら、より良い地域をつくる営みが米国では活発です。
ナイアガラの滝を迂回した水は下流に設置された発電所を経由してナイアガラ川に戻ります。我々も、ナイアガラの滝を後にし、下流の発電所へと約9kmの道のりを車で向かいました。
米国側にあるRobert Moses Niagara水力発電所をナイアガラ川を挟んで見通せる場所に到着。建設当時は世界一の出力を誇る水力発電施設だった場所です。カナダ側の施設も含めた両側の水力発電所の最大出力の総量は4,672MW。原子力発電所4基分以上に相当する巨大な量です。ダムの下方に13の巨大な発電機が並んでいる姿は壮観。ダムの向こう側には水路があり、さらにナイアガラの滝を迂回させた水を貯めるLewiston湖へとつながっています。ダムの幅が巨大なので一見すると高さは低いように見えますが、発電施設を設置する関係で基盤が深いこともあるせいか、国際大ダム会議の統計によれば基盤から天端までの高さは119mもあるそうです。これだけの巨大な施設が3年余の工期で完成したというのですから驚きです。
Robert Moses Niagara水力発電所
ナイアガラ川を上流から下流へと巡った今回の旅は自然と人間とのダイナミックな関わりを体感できるコースでした。ナイアガラの滝の後退が水力発電のための取水により10分の1の速度に抑えられ、その発電も、滝を訪れる人に配慮して観光シーズンの昼間には最低確保する水量を倍に増やすといった取組の大胆さは凄い。このような取組の積み重ねの上に今のこの地域の姿があり、最近も発電用の水路を大幅に増強したり、発電所の崩壊に伴ってゴーストタウンになった街を再生させようとしたり、さらに良い地域の形成へ向けて現在もたゆまぬ努力が続けられていることも感銘を受けました。そして、日本も負けずに、より良い地域、より良い国土へ向けて知恵と努力を積み重ねることが大事だと思うのでした。
(文と出典を表示したもの以外の映像)
一般財団法人水源地環境センター 安田吾郎
今回巡ったコースマップ