(聞き手:水源地環境センター 名古屋事務所 可児)
(WEC)
「ダム管理所長に聞く」第20回は、岐阜県にある徳山ダム管理所の森合所長にお伺いしました。水資源機構さんには第9回岩屋ダム以来、約1年ぶりに御登場いただきました。
森合所長、どうぞよろしくお願いします。では、はじめに徳山ダムのご紹介をお願いします。
(森合所長)
「揖斐の防人 濃尾の水瓶」これが徳山ダムのキャッチフレーズです。「揖斐の防人」として揖斐川流域47万住民の洪水の被害を防御し、「濃尾の水瓶」として揖斐川の豊かな恵みを中部圏における利水や発電に活用、そして揖斐川の水の流れを維持する多目的ダムであります。
徳山ダムは、揖斐川の最上流のダムとなる河口から約90kmの地点に計画され、完成まで約50年の歳月を要し、2008年5月に管理運用を開始しました。
ダムの構造は中央遮水壁型ロックフィルダムで、高さ161m(国内3位)、堤体積1,370万m3(国内1位)、総貯水容量6億6,000万m3(国内1位=浜名湖2杯相当)、貯水池の面積13km2(国内3位=諏訪湖相当)、と日本一大きなダムとして知られています。
こうした規模の大きさと併せて徳山ダムを有名にしているのは、ダム事業によりひとつの自治体(徳山村)が消滅し、村内全戸が地区外に移転したことが、我が国のダム事業の歴史の中でも徳山ダムが唯一の事例ということです。
徳山村の人たちのご協力で徳山ダムを建設することができ、下流住民の安心と豊かな暮らしが守られていることに、私たちは常に感謝の気持ちを持って業務にあたっています。
木曽三川流域図
点検放流中の徳山ダム
(WEC)
かつての徳山村はどんなところだったのでしょうか?
(森合所長)
徳山村には8つの集落があり、ダム建設が行われる時には1,500名余りの人々が暮らしていました。
徳山の歴史は古く、縄文時代の遺跡が発掘されています。「徳山」の由来は、美濃を統治していた国史が名も無き山の村で捕らえたウグイスを籠に入れて献上したところ天皇から「今後その山を、『鳥籠山(とこやま)』と名付けては如何か」と申され、それ以降『とこやま』から『とくのやま』になったと言い伝えられています。
中世になると、美濃の源氏のうち徳山氏を名乗るものがこの地を治めました。旧徳山村本郷地区の徳山湖畔には、徳山家伝系図に伝わる徳山金吾貞信に由来する徳山城址と、シロビヤ杉という樹齢数百年、胴回り7.4mの一本杉の巨木が残っており今でも訪れることができます。
徳山村では、自然と戦いながら自給自足の生活を長く続けてきました。時代が過ぎ、近年になって世の中が大きく変わりましたが、徳山村では長い間変わらぬ暮らしがそこにはありました。そこにダム計画。1986年徳山村は廃村となり、村の方々は移転し、縄文から4000年続いた人々の暮らしが水の底となったのです。だからこそ確かに「徳山村」がここにあったこと、それを後世に伝えていくことも我々の使命です。
現在、旧徳山村は合併し揖斐川町となりました。揖斐川町の道の駅「星のふる里ふじはし」に隣接する徳山民俗資料収蔵庫には、国の重要有形民俗文化財に指定された、徳山村の「徳山の山村生産用具」5,890点が収蔵展示され、在りし日の徳山村の暮らしをしのぶことができます。
胴回り7.4mのシロビヤ杉
徳山民俗資料収蔵庫(外観)
徳山民俗資料収蔵庫(展示物)
(WEC)
近年、大雨が頻発し、各地で被害が発生していますが、徳山ダムでの洪水時の操作はどのようにしているのですか?
(森合所長)
木曽川、長良川、揖斐川のいわゆる木曽三川は、広大な濃尾平野を貫流してほとんど同一地点に集まって伊勢湾に注いでいます。かつての木曽三川は網の目状で、大雨の度に氾濫被害が頻発、江戸時代に行われた宝暦治水やヨハネス・デ・レーケの明治改修により三川の分流工事が行われ、現在の川の姿となりました。
そして、揖斐川は三川の中で最も短く、源流域の年平均降水量は3,000mmと多雨地域となっています。大垣市の万石を基準地点として、上流域では徳山ダムと横山ダムが連携して洪水調節を行い、揖斐川流域の洪水被害の軽減を図ります。徳山ダムは洪水期には流入量200m3/s以上となった時に洪水を全量貯留して放流量0とする防災操作を行います。
平成26年8月の防災操作では最大流入量1,210m3/sをすべて貯留して万石基準地点で約2mの水位低減効果を発揮し、ダムが無ければ計画高水位を超過していたと推定されることから2,700haの浸水被害と約6,100億円の被害軽減効果があったと試算されています。
(WEC)
ダムと水源地域へのかかわりについて教えてください。
(森合所長)
徳山ダム流域は、夏は伊勢湾からの南東風が山地に当たり降雨をもたらす太平洋側内陸型気候、冬は日本海側からの季節風の影響で雪をもたらす日本海型気候となる地域で、深い森と多種多様な動植物が生息する豊かな生態系が形成されています。
徳山ダムの建設に併せて、ダム上流域を核とする揖斐川水源地域を流域全体の貴重な資産として位置づけ、適正な保全と利活用を長く続けていくことを目指して「揖斐川水源地域ビジョン」が策定されています。
日本一大きなダム湖と広大な水源林を「水と森の自然の博物館」に見立て、ダム下流にある「水と森の学習館」と「ふじはし星の家」、ダム湖畔の「徳山会館」を拠点とした自然環境学習、ダム材料採取地のコア山に実のなる木を植樹する活動、水源のブナ林の探索、洪水吐きゲートの点検を利用した放流のイベントなどを行ってきています。
ダムの見学は水と森の学習館で行っておりますのでお問合せ下さい。
水と森の学習館
コア山植樹
点検放流を見下ろす見学者
堤体登山
ダムにはバイクで訪れる方もたくさんおり、YouTubeに動画で紹介されています。
「徳山会館」には旧徳山村の暮らしやカメラばあちゃんで有名な増山たづ子さんの写真、ダムに沈む小学校の写真などが展示され、レストランではダムカレーも提供しています。
揖斐川町のお隣の本巣市では、ダム湖に沈んだ集落とともに幻となった超激辛、1.6倍の辛味成分を含む徳山唐辛子が復活、キャンディー、みそ、うどんに加工して販売されています。
徳山ダムカレー(放流中)
徳山唐辛子と地元加工品
徳山ダム湖を走る国道417号線では、岐阜県揖斐川町と福井県池田町の県境にある冠山付近が不通区間となっていますが、現在、冠山の直下でトンネル工事が進められ2023年には開通の予定です。冠山峠道路の開通によって、福井・岐阜両県の往来が盛んになり、地域の活性化への期待が高まっています。そこに観光としての徳山ダムの役割も果たしていきたいと考えています。
冠山(登山口と冠山)
雪深い徳山ダムの森合所長
(WEC)
私もダムカレー、頂きました。では最後に一言お願いします。
(森合所長)
徳山ダムは管理開始から14年。流域の方からは大雨が降っても以前より安心していられるという声もいただいています。これからも皆様の暮らしと豊かな自然を守り次世代につなげていくこと、そして、地域の活性化のための役割を果たしていきたいと思います。
揖斐川町には徳山ダムのほか魅力ある観光場所があります。岐阜のマチュピチュといわれている春日の「天空の茶畑」、紅葉が見事な揖斐峡、横蔵寺、華厳寺。華厳寺は西国三十三所33番札所で満願結願の古刹です。秋にはカヌージャパンカップレースやいびがわマラソンも開催されています。是非お越しください。
天空の茶畑
カヌージャパンカップレース
いびがわマラソン
(WEC)
大変お忙しい中本当にありがとうございました。
■徳山ダム管理所HP:https://www.water.go.jp/chubu/tokuyama/