(聞き手:水源地環境センター 名古屋事務所 可児)
(WEC)
「ダム管理所長に聞く」第51 回は、長野県の梓川水系の発電所の管理を行っている東京電力リニューアブルパワー松本事業所の黒瀬所長にお伺いしました。
黒瀬所長、どうぞよろしくお願いします。
では、はじめに松本事業所の概要についてお話し下さい。
(黒瀬所長)
長野県は東京電力グループとしては営業エリア外となりますが、東京電力リニューアブルパワーの事業所が他県に比べ最も多い4箇所あり、弊社の水力発電量のおよそ4分の1を生産している電源地帯でもあります。
松本事業所は長野県松本市に位置し、梓川水系に建設された2つの揚水発電所を含む10発電所の保守管理を60名弱の所員で行っています。この梓川水系は、北アルプスの槍ヶ岳・穂高連峰を中心とする中部山岳地帯を水源とし、中信平(ちゅうしんだいら:松本盆地の一部)地域に流下する犀川の支流となります。犀川を下ると千曲川へ合流、最終的には新潟県に入り信濃川として日本海へ流下します。
長野県内の管理設備
梓川水系設備鳥観図
(WEC)
次に梓川における東京電力の電源開発の経緯についてお話いただけますか?
(黒瀬所長)
上高地の大正池をご存じでしょうか?
上高地は梓川の上流域にあたり、特別名勝・特別天然記念物に指定され、手つかずの美しい自然が多く残っています。また日本を代表する山岳リゾート地として、多くの登山者、観光客に親しまれています。
大正池はその名のとおり、大正4年、焼岳の噴火により流出した火山泥流が梓川を堰き止めてできた自然湖です。当時は今より広大な規模で元々はこちらが梓湖(現在は奈川渡ダム湖を指す)と呼ばれていたようですが、いつしか大正池という呼び名が定着したと言われています。梓川水系の最上流部に位置する霞沢発電所は、この大正池を調整池として大正15年に当時の梓川電力株式会社が建設に着手し、昭和3年に運転開始した約450mの有効落差により最大出力39,000kWの発電を行う水路式発電所で、昭和26年に東京電力が引き継いで、現在に至っています。
霞沢発電所 |
過去の大正池の風景 |
大正池取水口 |
(WEC)
とても歴史ある施設ですが、現在も使われているということで維持管理は大変なのではないでしょうか?
(黒瀬所長)
大正池の下流端に設置された運転開始当時の堰堤は、木柱を等間隔に打ち込み、そこに板を並べただけの構造でした。その後堰堤は、鉄板製起伏堰へ取り替えられましたが、焼岳噴火による破損などを経て、平成15年に現在のゴム引布製起伏堰が設置されました。
大正池堰堤の変遷
(黒瀬所長)
昭和40年代後半からは上流域や焼岳などからの土砂流入による堆砂が徐々に深刻化し、運転開始時に約71万m3あった調整池容量が、昭和51年には約9分の1の8万m3までに減少してしまいました。このため、調整池としての容量確保を目的に、有識者による環境への影響調査などを踏まえながら、昭和52年から本格的に浚渫工事を開始しています。毎年、観光シーズンを終える頃になると、上高地は厳寒期を迎えますが、浚渫船を組み立て、年間の流入土砂の相当量となる1.8万m3を目安に浚渫を開始します。
浚渫船で吸い上げた土砂は、大正池右岸に設けた水切り場で乾燥させた後、ダンプトラックで場外へ搬出しています。
大正池の堆砂状況の推移
浚渫船で吸い上げた土砂は、大正池右岸に設けた水切り場で乾燥させた後、ダンプトラックで場外へ搬出しています。かつては、埋設管まわりのクッション材や庭の敷砂等に利用されていましたが、近年では需要も少なく有効な利用先が無いのが現状です。下流に設けた土捨場などにも仮置きしていますが、容量も限られているため、土砂の有効利用先を見出すことが急務となっています。
大正池の堆砂・浚渫状況
地元の学校でも上高地は自然学習の一端として取り上げられていますが、小学生が浚渫した砂の入った瓶を観光客へ配布し、堆砂の説明や、砂の使い道を募集するなどしたこともあり、地元からも高い関心を持っていただいていることを、ありがたく思っています。
このように当社の設備維持が、大正池の美しい景観維持につながっていることについて、やりがいと同時に責任を感じています。
(WEC)
堆砂は全国の多くのダムで大きな問題となっていますが、景観や観光との調和を図っての対策はとても大変ですね。現在は10の発電所を管理されているということですが、どの様な経緯を経て現在の発電形態に至ったのでしょうか?
(黒瀬所長)
梓川水系には大正時代から10発電所(約10万kW)が開発されていましたが、昭和30年代に入ると、産業経済の急速な発展にともなって電力需要やピーク需要の伸びが想定されたことから、大規模なダムを持つ揚水式発電所を含む再開発が計画され、昭和31年から梓川再開発がスタートしました。
ただしこの地域は、冬季に氷点下20℃になるような厳しい地域でもあり、地形も急峻で決して施工がしやすい環境ではありません。山腹崩壊により1年にわたり資材輸送路の迂回を余儀なくされたり、仮排水路が台風や集中豪雨によって崩落、土砂が流入し冠水したり数度の洪水被害にも見舞われました。冬季においてはボイラープラントを用いて蒸気で保温しながら24時間施工でコンクリートを打設するなど、多くの困難を克服して工事を完了させたと聴きます。
奈川渡ダム掘削状況
水殿発電所基礎・機器据え付け状況砂・浚渫状況
一方で当時としては最新鋭の技術であったウォータージェット工法による基礎掘削や、水系発電所の集中制御・揚水機同期起動方式の開発など、新たな技術の導入や開発にもチャレンジをしていました。
PS工、ウォータージェット工 施工状況
建設工事中の昭和42年には皇太子殿下(現在の上皇陛下)より工事の状況をご視察いただき、国内でも注目の大きい事業であったことが伺えます。
皇太子殿下行啓のご様子
(黒瀬所長)
梓川再開発事業は地元の人々の協力を得て進められ、昭和40年から約5年の歳月、延べ500万人の労力によって奈川渡・水殿・稲核の梓川3ダムと安曇発電所、水殿発電所、(新)竜島発電所が建設され、再開発開始からおよそ15年となる昭和45年までに安曇発電所・水殿発電所・(新)竜島発電所が運転を開始し、再開発前と比べおよそ10倍となる約97万kWの合計出力となりました。
奈川渡ダム建設状況
(WEC)
梓川再開発事業で建設された3つのダムについてお話いただけますか?
(黒瀬所長)
梓川3ダムという巨大な水がめが完成したことで、下流域にとっても水害の回避、効率的な水運用という恩恵をもたらしました。3ダムに流入する水のおよそ7割は、中信平土地改良区連合による農業利水事業によって現在の松本市・塩尻市・安曇野市・山形村・朝日村、約11,000haの中信平地域に分水され、米やりんご、スイカ、レタス、長芋といった名産品を支える水源として広く活用されることになりました。
梓川3ダムは上流から順に、奈川渡ダム、水殿ダム、稲核ダムとなります。これらのダムはいずれもアーチ式コンクリートダムと呼ばれる構造で、ダムをアーチ形状とすることで貯水池の水圧を両側の地山岩盤に伝えて支える構造となります。
梓川3ダム
3つのダムのうち、最上流に位置する奈川渡ダムは最も大きく、堤頂長355.5m、ダム高155mで、コンクリートアーチ式ダムとしては日本で3番目の高さとなります。ダム天端は一般国道となっており、松本市から上高地方面へ向かう際にダムの上を通行することができます。
一般国道として使用されている奈川渡ダム天端
奈川渡ダムの直下には安曇発電所、水殿ダムの直下には水殿発電所というふたつの揚水発電所が連なります。安曇発電所には水車発電機が6台あり、最大毎秒540m3の水を使って623,000kWの発電を行うことができ、水殿発電所では4台の水車発電機により毎秒360m3の水を使い245,000kWの発電を行っています。
安曇発電所
水殿発電所
(WEC)
近年激甚化する水災害に対応するため、利水ダムでも事前放流などダムの有効活用が求められていますが、なにか取り組みをされていることがございましたらご紹介ください。
(黒瀬所長)
安曇野発電所の下部調整池となる水殿調整池については水殿発電所の上部調整池も兼ねており、また水殿発電所の下部調整池は稲核調整池となるため、出水の際には3ダム連係して洪水操作にあたっています。
令和3年8月には前線の影響により全国的に記録的な降雨があり、長野県にも甚大な被害をもたらしました。梓川3ダムでは“事前放流”と“発電放流を予め増加させ空虚容量を増やす自主的な取り組み”により約2,460万m3の空虚容量を確保し、洪水時は国の要請に基づきピークカットにより約1,000万m3をダムに貯留しました。国交省の試算では下流で流量を約3割減らす効果があったとされ、またダム下流で発生した堤防欠損被害の浸食を抑制する効果があったと言われています。この際行った、先に発電所の使用水量を増やし、事前に空き容量を確保する取り組みは『減災放流』と呼び、行政、住民との間で協定化し、より一層、流域の安全に対して寄与しています。
稲核ダム放流状況
減災放流イメージ
(WEC)
素晴らしい取り組みですね。これにより地域の安全が向上することを願っています。
それでは最後になりますが一言お願いします。
梓川3ダムの魅力を語る黒瀬所長
(黒瀬所長)
松本市周辺では、自然や歴史的な魅力にあふれ、また先に挙げた名産のほか、多くのグルメ、レジャーがあり、一年を通じて楽しむことができます。
松本事業所でも民間団体を通し梓川3ダムでの水上レジャーなど民間のお客さまにもご利用いただけるよう協力をしております。ぜひ足をお運びください。
(WEC)
本日は、ありがとうございました。
東京電力リニューアルパワーホームページ
https://www.tepco.co.jp/rp/business/hydroelectric_power/