今回は岐阜県揖斐川町・徳山ダム周辺のドライブコースをご紹介します。
徳山ダムの第一印象は、なんといっても大きなダム!ダム湖では日本一の貯水量を誇ります。岐阜市内をはじめとする濃尾平野を洪水から守るとともに中京圏への水道供給の安定性を高めるダムです。ダム湖に沈んだ旧徳山村は最盛期には2000人を超える村民が暮らしていた歴史のある村。自然とともに生きてきた旧徳山村の生活に触れながら、おいしいご当地グルメと徳山湖の絶景を堪能しましょう。
道の駅星のふる里ふじはし(B)は岐阜駅(A)から平野部を抜けて山間地に入り、車で1時間ほどです。
地元名産品売り場には名産のしいたけのほか地元でとれた農産物が並びます。
道の駅併設の森本工房では手作りの焼き立てソーセージが1本350円。スパイシーなカレー風味のソースがジューシーだけど脂っこくないソーセージによく合い、ソーセージ職人の思いの詰まった一品です(森本工房のウェブサイトにある「ブランドストーリー」はソーセージ作りへのオーナーの思いを知る上で必見です!)
道の駅の隣の建物が徳山民俗資料収蔵庫です。入館料330円で旧徳山村の歴史を学ぶことができて、また実際に使われていた道具が多数展示されています。村に住んでいた人のひとりひとりにとっての徳山村を感じることのできる場所だと思います。
横山ダム(C)を左に眺め、ダム堤体から300mほど上流側に進んだ地点で左折して10分ほど走れば道の駅夜叉ヶ池の里さかうち(D)に到着です。徳山ダムに向かう道からは少しそれますがわざわざ行く価値アリです!
この道の駅の運営会社は、近隣でジビエ解体処理施設の運営も行なっているため、レストランでは珍しいジビエ料理が頂けます。
今回は、ジビエステーキ丼。地元産の肉厚の鹿肉が10枚以上のっていてボリューム満点でした!こんなにたくさんの鹿肉を食べたのは初めてです。
先ほど来た道を引き返し横山ダムからさらに上流を目指せば、徳山ダム(E)です。
洪水吐の大きさに驚かされ、上流側のダム湖の底では数十年前まで旧徳山村の住民のなんでもない生活が営まれていたことに思いを馳せらせます。
ダム湖右岸側を10分弱上流側に走ると徳山会館(F)です。旧徳山村での生活の記録が写真とともに紹介されています。なお、徳山村は1987年に藤橋村の一部として編入され、さらに2005年に平成の大合併により5町村が合併して現在は揖斐川町の一部になっています。
資料館は入館無料。
旧徳山村の8つの地区の航空写真、廃村前の日常の生活風景など貴重な写真が多数展示されています。
館長の中村さんは旧徳山村本郷地区のご出身。ダム建設の際の様子や旧徳山村での生活を来館者に説明されています。ここには観光客以外にもともと旧徳山村にゆかりのあった方も多く来られ、昔話に花を咲かせている人も見られました。また、昔のテレビ映像や新聞記事などダム建設中に撮られた多くの映像を見ることができました。
徳山会館から徳山ダムの下流側まで引き返すと見えてくるのが、藤橋城・西美濃プラネタリウムと藤橋歴史民俗資料館(G)です。
藤橋城・西美濃プラネタリウムではお城の中のプラネタリウムで天体ショーを見るというちょっぴり不思議な体験ができますが、今回は藤橋歴史民俗資料館を紹介します。
徳山村のすぐ下流、藤橋地区での昔の生活の様子が5軒の茅葺き屋根の家の中に展示されています。旧徳山村とは地理的には近かったもののあまり交流はなかったそうです。しかし、養蚕業のことや普段の食事、冬場の雪かきのことなど旧徳山村の生活と共通していることも多く、私自身もとても勉強になりました。入館料はプラネタリウムとセットで550円です。
今回は、思いがけず揖斐川町のダムとグルメを巡る旅でだけでなくダムの下に沈んでしまった旧徳山村に思いを馳せる旅となりました。揖斐川町には、徳山会館をはじめとして実際に旧徳山村で生活していた人々のひとりひとりの思いを感じる施設が多数あります。旅先のグルメとダムに沈んだ村の人々の生活。ぜひ両方味わってみてください。
また、岐阜駅周辺には長良川鵜飼(H)、金華山ロープウェイと岐阜城(I)などアクセスのいい観光地が多数あります。特に金華山の上にある岐阜城は織田信長ゆかりの地であるだけでなく北アルプスから名古屋市内まで一望できる絶景もありますので、岐阜駅周辺に宿泊の際には寄ってみるのがオススメです。
このほか、帰り道は別ルートにしたいという方は、徳山ダムから東側に抜け、根尾川沿いに南下して岐阜駅に戻る方法もあります。根尾川沿いにはマグニチュード8.0という断層型地震としては最大級の地震を1891年に起こした根尾谷断層があり、そのときに動いた断層面が残っている根尾谷地震断層観察館(J)も途中にあります。
写真・文:ダムライター猪野光太郎(いのっち)